※「織部」について
美濃出身の茶人 古田織部の好みというところから、織部の名称で呼ばれて
いますが、実際は、釉薬・施文・胎土の違いで、青織部・黒織部・志野織部
・鳴海織部・赤織部・総織部・美濃伊賀・美濃唐津などに区別さます。
現在、織部と呼ばれるものは、いわゆる「青織部」や「総織部」を指しています。


伝統ある「美濃焼」

| 美濃焼の歴史は古く、1300年以上さかのぼります。 初めは朝鮮から技術が伝わり、須恵器を焼いていました。 |
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| 【平安時代】 1150年前頃 | |
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平安時代になると、須恵器から灰釉を刷毛塗りした 白瓷(しらし)というやきものが焼かれるようになり、 北海道を除く全国で使用されていました。 |
| 【鎌倉・室町時代】 450〜800年前 | |
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平安時代の終わりから、灰釉を塗ったものから無釉の やきものがつくられました。大量に焼かれたため、一般の 人も使用していました。山にある窯跡に茶碗の破片が たくさん散らばっていたことから、「山茶碗=山にある茶碗」 と呼ばれるようになりました。 |
| 【室町後期〜桃山時代】 400〜500年前 | |
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500年ぐらい前になると、灰釉・鉄釉・銅緑釉などが 焼かれるようになり、400年ぐらい前からは「黄瀬戸」・ 「瀬戸黒」・「志野」など現在も美濃焼を代表する 桃山陶器が焼かれました。 |
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1610年頃になると、従来の窯から山の斜面を利用した 階段式の連房式登窯が築かれ、武将であり茶人でも あった古田織部の好みのやきものが効率よく焼かれる ようになりました。 ※「織部」については下記ご参照ください。 |
| 【江戸時代〜現在】 | |
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日常生活に使われる食器が大量生産されるようになり、 幕末には白くて硬い磁器も焼き始められ、その後、生産性 も上がり全国に流通するようになりました。 今では、全国の和食器の60%を生産しています。 |